生と死について

約1週間ブログをさぼっておりました。



先週、
私の仲間の父が亡くなった。

お葬式に参列して・・・・・・・・・

死ぬということを考えさせられた。



そして、2~3週間前だっただろうか
「世界一受けたい授業」で、武田先生(金八先生)が授業をしたのを思い出していた。

その授業は『宮澤賢治の「風の又三郎」というお話の隠されたメッセージ』そんなお話でした。
風の又三郎・・・・・・・・・有名なお話ですよね。


でも、私しっかりそのお話を読んだことはありません。

武田先生は
「現在死が軽んじられている。皆さんに深く考えて欲しい」といい授業を始めたと思います。

内容はちょっと難しく・・・・奥が深いお話でした。

武田先生はまず
①冒頭の怖さ
②風の又三郎のまるで妖怪を思わせる姿を見て驚いた子供たち
③風の又三郎のお父さんのお葬式を想像させる服装


風又の文章を
抜き出してみます。



① どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう


   確かにちょっと怖い感じがします。

②二人(ふたり)ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。

③白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって


これをおぼえておいてくださいと武田先生は言ってっていました。

9月1日に又三郎は転校してきました。


その後、
子供たちと又三郎の遊びを話していました。


始めに馬追い、そして川で魚獲りです。


まず馬追い。
ここでは又三郎と遊んでいた少年たちは馬もみんな、崖から落ちそうになるまで遊んでいた。

次に川で魚獲り。
このへんの先生の内容は忘れてしまいましたが・・・・
水の中で又三郎が子供たちをぐるぐると引っ張りまわし水を飲んで危ない目にあっている文章がありましたのでここで溺れてしまうような遊びです。



少年期とは、男の子は特に顕著に現れるもので、
「命を掛けて遊びたい」という気持ちが強くなると。
これを先生は見逃してはいけないと言っていたと思います。




このお話は、又三郎と遊ぶことで死の恐怖を子供たちに教え、
子供たちの少年期を終わらせることで次のステップ
青年期に入らせるという意味だと武田先生は語っていました。


そして遊び終えた時、誰かが
「青いくるみもすっぱいかりんも吹きとばせ」と歌いだしたと。
これは、大人になろうとしない少年期のままの子供は『殺してしまえ』という意味のようです。

そういう意味も含め、子供が命を掛ける遊びをしたがるのは、
「又三郎と遊んでいたからだ」と先生は語っていたのでした。


最後には又三郎はガタガタと震え出し、哀しそうな顔をしたと本に書いてあると
武田先生は言いました。

その文章は
多分ここでしょう!

「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがありました。
 みんなもすぐ声をそろえて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」
 三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるようにして淵(ふち)からとびあがって、一目散にみんなのところに走って来て、がたがたふるえながら、
「いま叫んだのはおまえらだちかい。」とききました。
「そでない、そでない。」みんないっしょに叫びました。
 ぺ吉がまた一人出て来て、
「そでない。」と言いました。
 三郎は気味悪そうに川のほうを見ていましたが、色のあせたくちびるを、いつものようにきっとかんで、「なんだい。」と言いましたが、からだはやはりがくがくふるえていました。
 そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。

   どっどど どどうど どどうど どどう
   青いくるみも吹きとばせ
   すっぱいかりんも吹きとばせ
   どっどど どどうど どどうど どどう
   どっどど どどうど どどうど どどう


この意味は・・・・・・・・・

又三郎は、少年たちに遊びから死の恐怖を教え・・・・

死の恐怖を教えることで(死を教える)少年期から思春期へと送り出しのです。
(つまり又三郎の仕事が終わった)

又三郎は少年たちと別れる、という意味になるのです。
思春期になる事を決めた少年たちは、もう又三郎と遊ぶ必要がなくなったということなのです。
(みんなと別れなくてはいけないことで又三郎は逆に恐怖になった)

死と対面したことで、死を軽んじる事がなくなる!ということなのだそうです。

そして、又三郎は転校してきたばかりだというのに、再び転校していってしまいます。
これは、おそらく少年たちにもう教える事がないということで転校するということになったと
武田先生は言いました。


そして、武田先生は転校を話した日の担任の先生の服装をお話しました。
担任の先生は、『祭り』を想像できる服装をしていたと語っていました。

本文ではこうかかれてありました。

奥から先生が出てきましたが、ふしぎなことは先生があたりまえの単衣(ひとえ)をきて赤いうちわをもっているのです。


はじめに書いた又三郎の父親の服装と正反対であること。


宮沢賢治が実際にどう考え思いこの本を書き上げたのかはわかりませんが、

おそらく又三郎がやって来たときには喪服。

去る時には祭。

ということは。

今まで少年期だった少年たちが思春期に入ったというお祝いとして先生は祭りの服装をしていたと武田先生は語っていました。


幼い少年もいつかは大人になり・・・・・・
その間にいつまでも幼い今までは生きていく資格がないと宮沢賢治は
この風又でメッセージを隠していたのではないか・・・・というような講義でした。




そして、
私は風又を読みたくなり
読み終えました。

文章が昔の表現なので少しわかりにくい表現が多々あり・・・ましたが、
(私の文学の能力がないからでしょう)


武田先生が話していた内容は
隠されているメッセージが伝わってきました。



確かに

わが息子正太も純も
危険を知らないのです。

純にしては何もわからないのは当たり前です。
私や正太のまねをして
まだやっとよちよち歩き時にはつまずくことが多い中
階段を大人のように真似して下りようとします。
打ち所が悪ければ・・・・・・・・・


正太は
自転車ですごい勢いで・・・・・・・
車とぶつかるのではないか・・・・・・・・・・



これは
又三郎と遊んでいるのでしょうか・・・・・・・・


でも、
この一歩間違えると危険!という遊びの中から
自然と学び取って大きくなっていくのですね。

そして
大人に・・・・・・・・・



奥深い文学・・・・・・・・と感じてしまいました。

親としても、
危険であることは口うるさいほど言っていますが
ぎりぎりの恐怖!

自分で体験することはまさに勉強になるのでしょう。


でも、
親としては、
そんな恐怖にわが子に与えたくないというのが本音ですが・・・・・・・・



最後に
武田先生は

生きるという字と死ぬという字のお話をしました。
生死という漢字を縦に並べてかきました。

d0064820_16231353.jpg


*これは私が書いたもので乱筆にて失礼!

この相対する二つの漢字。

一つの共通点がある。

生死という漢字を重ねると、生の下の横棒と死の上の横棒が重なる。

生という幹を支えている死という根っこ

が、あるように見えると。
生で木が青々と茂っており、死が根っことなってその木を支えている。

生は死を礎として立っているということ。

が、わかると。


私は思わず「ほんとうだ!」と思ってしまいました。




以前、こちらのブログ?
第二のブログ?
14歳の母の再放送があったら見たいと記した。

偶然にも

再放送がされたのだ。


そして、
今日その14歳の母が最終回。


生きることと死ということ・・・・・・


14歳の母のドラマについてはまた後日触れるとして、


出産は今でこそ安全になったとはいえ
まだ
医師にも
予測不可能な危険な出産に変わることがあり、

今でも
本当は
出産は
命がけで・・・・・・・・

この武田先生の
言っている
生と死のつながり・・・・・・・
生という幹を支えている死という根っこ!


深く考えさせられた・・・・・・・・・
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by 2006-r-n-b | 2007-10-31 16:40 | 忘れてはいけないこと