カテゴリ:忘れてはいけないこと( 20 )

「子どもたちの311 ユニセフ東日本大震災報告写真展」
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へ行ってきた。


入ってすぐ
衝撃的な写真

懐中時計が2時46分を指して止まりがれきの中にある時計の写真。

子どもメインの写真展でしたが

いくつかの衝撃的な写真に涙が止まらず
私は一刻も早くこの場を去ろう・・・
涙が止まらないよ・・・

と思ったら

正太が一枚一枚じっくり見ていて驚いた。


涙が止まらない写真が・・・

東日本大震災で大津波に遭い、
奇跡的に助かった愛海ちゃん(4歳)。
両親と妹が行方不明になり、ひとりぼっちになっていた。
「ままへ手紙書く」と言いだした。1文字1文字、1時間近くかいた。
『ままへ。いきてるといいね。おげんきですか』。書いて疲れたのか、すやすやと寝入った

とコメントのある写真。

チラシの裏面にあったのでその写真をとってみました。見えるかな?
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311の日は純もまだ4歳だった。きっと同じ年でしょう。
心をこめて、ママに会いたい気持ちを手紙に託し・・・
ママに会える夢でも見てるかのような写真…
涙が止まらない。




もう一つは
施設で働く奥さんは最後までみんなを外に避難させていたと。
奥さんが施設でなくなっている姿に
ご主人が覆いかぶさるような写真…
これも・・涙が止まらないよ・・・


それに福島原発の・・・
我が子のように飼育していた牛を殺処分に出す時の写真

牛とおじさんの・・・言葉に表現できない表情と
どうしたらいいのかわからないおじさんの棒立ちと
牛も嫌がってる姿の写真も・・・・


他にも
本当に写真で伝わる311の恐ろしさが・・・

でも、子どたち頑張ってる。
大人も頑張ってる。


しばらく募金していなかったけど
久々に募金してきた。

でも、まだまだ続けなきゃね…募金!

正太までお小遣いから出していました。
心に何か感じたものがあったかな?


忘れてはいけない、今年の最大ニュース!
日本の課題でもある原発問題…
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by 2006-r-n-b | 2011-12-17 22:02 | 忘れてはいけないこと

抜け出そう!

約1週間ばかり
パワーを失いかけていましたが・・・・

人との関わりの中で
元気がもどってまいりました。

少し前になりますが
私のあこがれていた「プサマカシ」の徳永さんが
朝日新聞に出ていました。

スカイツリーを
アフリカの子供たちに見せてあげたい~~~
そう思って
頑張っていらっしゃる。


そして、
みんな
みんな
がんばってるんですよね。


そんな中
心に響くような詩をまたあるCMを教えてくださった方にも感謝感謝!
本当にうれしく思い…


そして
いつも私を導いてくれる相田みつを氏の詩には本当に感謝です。


ある方は
途中下車して駅弁食べながらゆっくりゆっくり進んでいくのもいいのでは?
とか・・・


そして・・・
今日は純が風邪で幼稚園をお休み。
今は元気になりお絵かきしています。

その間
たまっていた録画を見たのですが…

獣医のドラマ

ドリトル先生が
助手に対して「100%準備ができていないなら、出て行け」というような言葉を・・・・

なんかドキッとしました。

100%準備・・・・・
過去の自分は毎日が100%でいっぱいいっぱいでしたが
やはりいまは100%かと問われると微妙な感じ…・

そして、
心をこめて
今の自分に何か言葉をと願いながら
開いたページは
「成長しなさい。昔の自分に戻るために」byアフリカ民話
と・・・・・

今年も1カ月を切りました。

頑張って行きましょう!
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by 2006-R-N-B | 2010-12-08 12:08 | 忘れてはいけないこと

助産師がつたえる命の話

先月買った「CREA」の雑誌の占いを
たまたま目にしたのが先月後半。
仕事運には強力運
とあった。

そして、
新月9月8日前後にあなたが憧れる分野の実力者と知り合うチャンスあり
とあった。
事実9月14日助産院の院長から行くよう勧められた研修で
同じ助産院でパートをしている方が
命の授業をしていることを知り
ぜひ、自分も行きたいとお願いして
今日
厚木の小学校に行くことができました。

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by 2006-r-n-b | 2010-10-19 20:43 | 忘れてはいけないこと

神戸新聞の7日間

神戸新聞の7日間


見ました…


忘れてはいけません。


この地震はいつ私たちの住んでいる土地にもくるかもしれない


そして・・・
人間の
人間の協力・・・・
そして・・・・今

私には何も語れませんが…・


泣けました。

心が何かを感じました。

どう表現するのがいいのだろう・・・・・
表現できませんが


この社説



1995年1月20日
震災4日目の神戸新聞 朝刊

『被災者になってわかったこと』

あの烈震で家が倒壊し階下の老いた父親が生き埋めになった

いくら呼んでも返事がない
誰に救いを求めたらよいのか途方に暮れる

日が暮れる
寒くて 食べ物も水も乏しい

廃材で焚き火をする

いつまで辛抱すれば
生存の不安は薄らぐのか

情報がほしい

翌日が明ける

救助本部に行く

生きている可能性のある人からやっている

お宅は何時になるかわからない
分かってほしいといわれる

理解できる

理解できるがやりきれない

これまで被災者の気持ちが
本当に分かっていなかった自分に気づく

被災者の不安やつらさに
どれだけこたえ
ねぎらう用意があったか





とにかく心が何か感じました。


カメラマンのそれぞれの気持ち…・


泣きました。



今日という日は


私の甥っこのお誕生日!

しかも
2人います。


1人は今日、生まれたそうです。
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by 2006-r-n-b | 2010-01-17 19:30 | 忘れてはいけないこと

全ては家族から始まる

家族!

当たり前のようにいる存在。

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by 2006-r-n-b | 2008-12-05 10:02 | 忘れてはいけないこと

広島の原爆から63年。

過去の8月の記事を見てみた。
http://rie0303.exblog.jp/5964606/
この写真は今も忘れられない。

今日は長男と甥っ子と広島の話をした。

去年、この写真を見せたの覚えてるかって・・・・・・・
きちんと覚えていた。

この写真は本当に衝撃的で、今も悲しくて仕方がない。

今日、朝日新聞に何枚か目をそむけてはいけないという・・・・写真が語る戦争!
という写真があった。
何ともたまらない写真であった。


何ともたまらない写真だ。

今がどれだけ幸せなのかと・・・・・・・・

そして、核保有・・・・・・広島・長崎の被爆者は・・・・
被爆者の平均年齢75歳?


なんとも言えない思いだ。


http://rie0303.exblog.jp/1472805/

原爆ドーム・資料館・・・・
今もあの時見たことは忘れられず…
その当時を知らない私になんか・・・・あの現状は理解できていない・・・・
忘れてはならないことなのだ。

http://rie0303.exblog.jp/3600102/

この絵本は・・・・息子に今年こそ読ませてみよう。

段ボールの中に入っているはずである。


・・・・・・・・・

衝撃的な一枚の写真がまた忘れられなくなりそうだ・・・・・・。
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by 2006-r-n-b | 2008-08-06 21:26 | 忘れてはいけないこと

やっぱり

船場吉兆廃業ニュース!


うちも、廃業したのですが廃業の理由が違う。

従業員のことを思う気持ちは一緒かもしれない。
吉兆さんに比べれば従業員の数は全然うちのほうが少ないのですが……


もちろん
職種が違います。


船場吉兆さんのことを知るわけでもないのですが・・・・・

高級料亭といわれるお店で・・・・・
がっくりです。

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by 2006-r-n-b | 2008-05-29 09:31 | 忘れてはいけないこと

母の日

5月11日は母の日でした。

皆様はどうお過ごしでしたか?

私の実の母には温泉旅行でもと・・・・・・・・・
プレゼントしました。

開業してからさらに心配ばかりかけさせてしまいました。
特に純を妊娠していた時には・・・・かなり心配をかけさせたことでしょう。

第2のブログで以前こんなことをつぶやいた。

なかなか実の母にありがとうというのはてれくさく・・・・・・・・・・・

数日前に
「日曜日に贈り物をするから・・・・いる?」というと、

「いいのに!そんなもの送らなくて・・・・・・・・」と言っていた母。

日曜日に電話をすると
「届いたよ、あとでゆっくり選ぶから・・・・・・・・」

と・・・・・・・・・・・

なんとなく、
嬉しそうな声でほっとした。


私は
本当に、開業してから母には心配ばかり。


私にできる親孝行とは何なのか・・・・・・・・・


母が生んでくれた命を大事にし、授かった二人の子供たちを大切に育てること。
これしか思い当たらない。


なぜなら、
開業していたころ母はよく言っていた。

「お母さんはあなたのときもお父さんと共働きだったからあなたにはできるだけ
子供のことをよくしてあげてほしいのだ…………。」というようなことを言っていた。

だから
母の望むことは・・・・・・・・
孫をしっかり育てる!

これが望みなような気がする。


だから、
私にできる親孝行は
息子たちを立派に育てること!?

親孝行とは何なのだろう・・・・・・・・・・


おそらく、

親というものは
自分が死ぬまで・・・・・・・
子供のことは気がかりなんだろうと思う。

母親の気持ち!

少し、自分でも実感している。

大変であり、
親とはやはりすごいものだと思った。



親は健康でいて当たり前だが、

年は毎年増えるもので、老化も起こる。


これからは、少しずつ親孝行できたらいいな・・・・・・。
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by 2006-r-n-b | 2008-05-13 21:27 | 忘れてはいけないこと

生と死について

約1週間ブログをさぼっておりました。



先週、
私の仲間の父が亡くなった。

お葬式に参列して・・・・・・・・・

死ぬということを考えさせられた。



そして、2~3週間前だっただろうか
「世界一受けたい授業」で、武田先生(金八先生)が授業をしたのを思い出していた。

その授業は『宮澤賢治の「風の又三郎」というお話の隠されたメッセージ』そんなお話でした。
風の又三郎・・・・・・・・・有名なお話ですよね。


でも、私しっかりそのお話を読んだことはありません。

武田先生は
「現在死が軽んじられている。皆さんに深く考えて欲しい」といい授業を始めたと思います。

内容はちょっと難しく・・・・奥が深いお話でした。

武田先生はまず
①冒頭の怖さ
②風の又三郎のまるで妖怪を思わせる姿を見て驚いた子供たち
③風の又三郎のお父さんのお葬式を想像させる服装


風又の文章を
抜き出してみます。



① どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう


   確かにちょっと怖い感じがします。

②二人(ふたり)ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。

③白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって


これをおぼえておいてくださいと武田先生は言ってっていました。

9月1日に又三郎は転校してきました。


その後、
子供たちと又三郎の遊びを話していました。


始めに馬追い、そして川で魚獲りです。


まず馬追い。
ここでは又三郎と遊んでいた少年たちは馬もみんな、崖から落ちそうになるまで遊んでいた。

次に川で魚獲り。
このへんの先生の内容は忘れてしまいましたが・・・・
水の中で又三郎が子供たちをぐるぐると引っ張りまわし水を飲んで危ない目にあっている文章がありましたのでここで溺れてしまうような遊びです。



少年期とは、男の子は特に顕著に現れるもので、
「命を掛けて遊びたい」という気持ちが強くなると。
これを先生は見逃してはいけないと言っていたと思います。




このお話は、又三郎と遊ぶことで死の恐怖を子供たちに教え、
子供たちの少年期を終わらせることで次のステップ
青年期に入らせるという意味だと武田先生は語っていました。


そして遊び終えた時、誰かが
「青いくるみもすっぱいかりんも吹きとばせ」と歌いだしたと。
これは、大人になろうとしない少年期のままの子供は『殺してしまえ』という意味のようです。

そういう意味も含め、子供が命を掛ける遊びをしたがるのは、
「又三郎と遊んでいたからだ」と先生は語っていたのでした。


最後には又三郎はガタガタと震え出し、哀しそうな顔をしたと本に書いてあると
武田先生は言いました。

その文章は
多分ここでしょう!

「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがありました。
 みんなもすぐ声をそろえて叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。」
 三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるようにして淵(ふち)からとびあがって、一目散にみんなのところに走って来て、がたがたふるえながら、
「いま叫んだのはおまえらだちかい。」とききました。
「そでない、そでない。」みんないっしょに叫びました。
 ぺ吉がまた一人出て来て、
「そでない。」と言いました。
 三郎は気味悪そうに川のほうを見ていましたが、色のあせたくちびるを、いつものようにきっとかんで、「なんだい。」と言いましたが、からだはやはりがくがくふるえていました。
 そしてみんなは、雨のはれ間を待って、めいめいのうちへ帰ったのです。

   どっどど どどうど どどうど どどう
   青いくるみも吹きとばせ
   すっぱいかりんも吹きとばせ
   どっどど どどうど どどうど どどう
   どっどど どどうど どどうど どどう


この意味は・・・・・・・・・

又三郎は、少年たちに遊びから死の恐怖を教え・・・・

死の恐怖を教えることで(死を教える)少年期から思春期へと送り出しのです。
(つまり又三郎の仕事が終わった)

又三郎は少年たちと別れる、という意味になるのです。
思春期になる事を決めた少年たちは、もう又三郎と遊ぶ必要がなくなったということなのです。
(みんなと別れなくてはいけないことで又三郎は逆に恐怖になった)

死と対面したことで、死を軽んじる事がなくなる!ということなのだそうです。

そして、又三郎は転校してきたばかりだというのに、再び転校していってしまいます。
これは、おそらく少年たちにもう教える事がないということで転校するということになったと
武田先生は言いました。


そして、武田先生は転校を話した日の担任の先生の服装をお話しました。
担任の先生は、『祭り』を想像できる服装をしていたと語っていました。

本文ではこうかかれてありました。

奥から先生が出てきましたが、ふしぎなことは先生があたりまえの単衣(ひとえ)をきて赤いうちわをもっているのです。


はじめに書いた又三郎の父親の服装と正反対であること。


宮沢賢治が実際にどう考え思いこの本を書き上げたのかはわかりませんが、

おそらく又三郎がやって来たときには喪服。

去る時には祭。

ということは。

今まで少年期だった少年たちが思春期に入ったというお祝いとして先生は祭りの服装をしていたと武田先生は語っていました。


幼い少年もいつかは大人になり・・・・・・
その間にいつまでも幼い今までは生きていく資格がないと宮沢賢治は
この風又でメッセージを隠していたのではないか・・・・というような講義でした。




そして、
私は風又を読みたくなり
読み終えました。

文章が昔の表現なので少しわかりにくい表現が多々あり・・・ましたが、
(私の文学の能力がないからでしょう)


武田先生が話していた内容は
隠されているメッセージが伝わってきました。



確かに

わが息子正太も純も
危険を知らないのです。

純にしては何もわからないのは当たり前です。
私や正太のまねをして
まだやっとよちよち歩き時にはつまずくことが多い中
階段を大人のように真似して下りようとします。
打ち所が悪ければ・・・・・・・・・


正太は
自転車ですごい勢いで・・・・・・・
車とぶつかるのではないか・・・・・・・・・・



これは
又三郎と遊んでいるのでしょうか・・・・・・・・


でも、
この一歩間違えると危険!という遊びの中から
自然と学び取って大きくなっていくのですね。

そして
大人に・・・・・・・・・



奥深い文学・・・・・・・・と感じてしまいました。

親としても、
危険であることは口うるさいほど言っていますが
ぎりぎりの恐怖!

自分で体験することはまさに勉強になるのでしょう。


でも、
親としては、
そんな恐怖にわが子に与えたくないというのが本音ですが・・・・・・・・



最後に
武田先生は

生きるという字と死ぬという字のお話をしました。
生死という漢字を縦に並べてかきました。

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*これは私が書いたもので乱筆にて失礼!

この相対する二つの漢字。

一つの共通点がある。

生死という漢字を重ねると、生の下の横棒と死の上の横棒が重なる。

生という幹を支えている死という根っこ

が、あるように見えると。
生で木が青々と茂っており、死が根っことなってその木を支えている。

生は死を礎として立っているということ。

が、わかると。


私は思わず「ほんとうだ!」と思ってしまいました。




以前、こちらのブログ?
第二のブログ?
14歳の母の再放送があったら見たいと記した。

偶然にも

再放送がされたのだ。


そして、
今日その14歳の母が最終回。


生きることと死ということ・・・・・・


14歳の母のドラマについてはまた後日触れるとして、


出産は今でこそ安全になったとはいえ
まだ
医師にも
予測不可能な危険な出産に変わることがあり、

今でも
本当は
出産は
命がけで・・・・・・・・

この武田先生の
言っている
生と死のつながり・・・・・・・
生という幹を支えている死という根っこ!


深く考えさせられた・・・・・・・・・
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by 2006-r-n-b | 2007-10-31 16:40 | 忘れてはいけないこと

終戦記念日

今日は終戦記念日。

いろいろなことを今日は考えました。

靖国神社のことなども・・・・・・


戦死した方々戦争で犠牲になった方々・・・・・・・


そして、やっぱりあの写真が心に残って仕方がありません。



世界平和を願って戦後62年  戦没者追憶式がありました。


戦争は恐ろしいもので二度と会ってはいけない。
これを風化させずに・・・・・・・・

子供たちに伝えなければいけない。


これを語り継ぎ、世界平和を祈り・・・・・・・・
平和のありがたさを・・・・・・・

感謝して。



戦争にわが子を出す!

どんな思いだっただろう。


お国のために死んできます!という意気込み・・・・・・・

死んで帰るのが当たり前、いきて帰ってきた方々は申し訳ない思いだったとか。

そんなことはけしてないのに・・・・・・・・。


過去があっての今現在。

今の平和を感謝しなくてはと。
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by 2006-r-n-b | 2007-08-15 19:24 | 忘れてはいけないこと